今回は、IRとも関係の深い帳簿の歴史について書きます。
財務活動と会計情報を投資家に適正かつ的確につたえるのがIR(Investor Relations)活動といわれています。
帳簿は1449年イタリアのルカ・バチオの著した「スマン」(数学大全)に体系的にかかれたものが始めだと言われています。1590年に徳川家康が江戸入りしましたのでそれより140年前の事になります。
日本最古の現存帳簿は、国立史料館にある伊勢松坂射和出身の富山家が残した「足利帳」(1615年~1840年)です。富山家は江戸で栄えた伊勢商人の一人です。当時も商人の間では大福帳が使われていました。
大福帳は単式簿記で入出金の記録として使われていましたが、足利帳は正味身代(純資産)と利益について記載されており、資本と利益の概念が当時からあったことが分かります。
当時商人は、貸借対照表を算用目録帳、損益計算書を大黒帳といって使い分けていたそうです。一方、こうした帳簿は、伊勢商人の源流といわれる近江商人である中川家にも同様の複式簿記があります。
今のような複式簿記は、1800年中頃のイギリス、ドイツ産業革命の時代には完成していたそうですが、日本独自の複式簿記は江戸時代に伊勢と近江商人が既に使っていました。
その後、明治6年、福沢諭吉がイタリア式複式簿記を「帳合之法」という翻訳本で日本に紹介しましたが、この本は1971年著アメリカの簿記の教科書でした。これが今の帳簿となり、現代の決算報告書として企業が投資家に報告する会計情報の元となっています。
日本にも帳簿があったにもかかわらず何故、欧米の会計帳簿を使うようになったのでしょうか。
諭吉はこういっています。「古来、日本では、学者は貧乏、学者は自らを高く、金持ちは無学なり。金持ちは、商売に学問は不要なり、学問は身代を潰すものなり」といって自らを賤しめていたそうです。
諭吉の功績は、それまで大福帳で商売をしていた商人に、伊勢と近江商人しか使っていなかった記帳方法と考え方を広く万民に伝えたことでした。
また、諭吉は、「金持ちも学者も天下の経済更に一面目を改め、全国の力を増すに至らんか」。といって国富を願ったそうです。
IRに話しを戻します。従来IR活動は会計情報の提供でした。最近、Jパワー、サッポロビールのもの言う株主の動向を見ると、時代背景によってIR活動も進化しなければならないようです。昨今では株主ガバナンスと企業価値向上をIRの課題とする企業が増えてきました。
諭吉の言葉を借りると、「従来、企業は、志は高く、投資家は経営に無知なり、投資家の言うなりは企業を潰すものなり」といえます。最近の外人投資家の動向と日本の考え方のどちらを選択すべきでしょうか。
温故知新の考え方も大切だと思います。
AKINDO
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