伊勢商人は射和、松阪、津、宇治山田など勢州に広がる商人を言います。
大きく分けると、700年代から始まる水銀とおしろいを主産業とする商業と1600年代から始まる木綿卸、港を利用した廻船卸商業に分かれます。
1600年から始まる伊勢(松坂市)の商業は、近江の蒲生氏郷が今の滋賀県日野村からつれてきた日野商人が作り上げました。今でも、あちらのお宅は勢州もん、こちらは江州もんといって、地元では伊勢と近江と区別する人もいます。
この丹生村が伊勢の国の商人発祥の地ではないかと私は考えますが、今はひっそりとした熊野と伊勢街道沿いの宿場町の面影を残すのみです。丹生村は、今の多気郡多気町(以前は勢和村、勢和村の合併前は五ヶ谷村と丹生村)にあります。写真は今の丹生村(旧)です。
1600年から始まる伊勢(松坂市)の商業は、近江の蒲生氏郷が今の滋賀県日野村からつれてきた日野商人が作り上げました。今でも、あちらのお宅は勢州もん、こちらは江州もんといって、地元では伊勢と近江と区別する人もいます。
この丹生村が伊勢の国の商人発祥の地ではないかと私は考えますが、今はひっそりとした熊野と伊勢街道沿いの宿場町の面影を残すのみです。丹生村は、今の多気郡多気町(以前は勢和村、勢和村の合併前は五ヶ谷村と丹生村)にあります。写真は今の丹生村(旧)です。
明治22年五ヶ谷村と丹生村となる。昭和30年両村が合併し勢和村となる。平成18年勢和村と多気町が合併し多気町となる。今は、旧勢和村には勢和村振興事務所(旧村役場)があるのみ。写真は当時の五ヶ谷村の消防車です。
丹生村の町屋。白い表札は、屋号「柏屋(とうふ)」と書いてあります。家々の前には、宿屋、こんにゃく、ひきゃくなど屋号が必ずかけてあります。お煎餅やさんの家には紺屋(こうや)とありました。昔は紺染め屋さんだったそうです。
勢和屋
勢和屋
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