2009年5月17日日曜日

暖簾の価値研究

昭和10年1月8日発行 著者 大野 勇 発行所 中文館書店
市場統制暖簾の価値研究
前京都市場長 大野勇


市場の統制取引の規制のためにする市場革新の根本基調は、市場暖簾の認識とその評価に在る。(1頁)
従来の市場の暖簾は、ほとんど学者の調査研究の対象外に置かれた観があり、その種の著書にも例示をはじめ所説がほとんど皆無に近いという有様であり、たまたま散見する所説にしても、その多くはほかの業界の事例もしくは欧米の慣行に依る所説である。真にわが業界の事実に即して論結されたものは見出すことができない。(2頁)


東西市は唐から伝えた築都の上の市場配置の定型である。平安京の東西市もこれより従来の方によったもので、左京にあるを東市といい、その地域は現在の西本願寺境内から西南に渡るいったの地である。(2頁)

東西市各別に市司を置き、市司は、財貨の交易、器物の真偽、度量の正否、売買の枯価などを管理し売買取引の非違を禁察することなどを掌理した。その長官を市正(正6位)という。地方には国司の支配に属する市司が置かれてあった。(2頁)

わが国の市場は大化の改新以前にも存在したから市場に干渉してその統制を計ったことは察せされる。文武天皇の大宝年間に大宝律令が選定されし情報がその中に含まれることになって初めてわが国も市場は法的存在となった。
飛鳥時代から平安朝の初期のころまで市場法となったものは闇市令であり、醍醐天皇の延喜5年の延喜式が選定せられ、そのうちにおさめられた東西市司式にいたって市場法は体制したが、大宝律令制定より延喜式の選定まで262年を経ている。(西村博士著 日本古代経済市場篇37頁)
(3頁)

座制と株制
「座」
市場統制としての東西市の制度も、中央政権の拡張と収支し、源平抗争の時代にはまったく荒廃し鎌倉足利時代にはすでにその形跡を留めざるにいたりたるを持って業者は取り扱いの品目毎に組合を作り、領主、寺院、神社などの権勢に追り、かぜいを納めて業務の特許を得、これを座と呼んだ。座に属する商人を座衆または座人といい、座衆の取り扱う商品は他商人をして販売せしめず。座衆は各々販路を限って営業したものであった。

「株」
徳川時代の問屋も業毎に組合を作り、申合せ条目を定め、一定の冥加金を上納して、特別の保護を受け、業者の数を制限し且つこれを世襲したもので、その種特殊の専業を一般に「株」と称した。すなわち株の制度によりて業者の員数が制限され、市場の開設営業が免許されて、市場の統制と取引の規制がある程度おこなわられたものであった。


10頁
めいわ8年11月27日 和泉屋五郎兵衛他三十八名
当時の問屋組合の実情および問屋株のいかなるものかを知る材料である。
この願いに対し奉行所では冥加金増額の要ありとのことにて、さらに4回の願いを重ね結局40枚の株札に対し、年初は銀40枚翌年より銀20枚上納という鼓tによって許可された。

当時株札のを受けることは手続きも面倒で経費も係り容易なことではなかった。1株の価値も五、六十両から
高きは三四千両に登り売買譲渡質入書入の自由で、問屋権仲買権として貴重な暖簾であった。

11頁
天保の末頃諸物価の高騰により当時老中水野忠邦は、問屋業者の独占横暴にあると断じ、冥加金お上納をやめ、組合仲間を解き、株札を廃し、全国商人の自由営業を認め、素人直売買を許した。これにより問屋仲間小売のくべつがなく自由に産地に入試と直接取引が行われるようになった。

しかし諸物価はおさまらず、商取引の規則が廃滅し商人の倒産があいつぐにいたった。弘化二年老中水野に代わり阿部正弘老中首座に進むや、諸株廃止後の実情を考察し、問屋組合の最高をなすにいたった。これが嘉永四年の問屋組合復興令である。
復興令では、ある程度の復興に留めている。仲買人の無制限、冥加金の免除の保留などである。無制限の自由、絶対的開放は、統制の余弊以上の弊害を伴うものであることを教えている。いずれにせよ徳川時代の株制にひびが入ったままで明治維新への持ち越されていった。

12頁
明治維新になった徳川時代の株制が廃止されてからは、市場に対する統制作用はまったく解除され、自由放任の余勢は堤を決した奔流の勢いで進んだ。文書に「仲買組合禁止の布達」がある。明治5年大阪であった。
「何等の規制無き無統制の自由」が、市場取引の上に少なからぬ弊害を生み出すことになり、自由放任に任せられた市場は、不正競争と市場業者の濫立となった。こうしたことから明治三四十年のころには府県取り締まり規則の稀少と不備とも手伝って、余弊の絶頂に達していた。その後、「中央卸売市場法」の制定となった。

市場統制と暖簾
30頁
佐野博士
「合同合併などのために必要とする問屋老舗の評価は大変な仕事でありかなっらずや混乱に陥ろう」「問屋の老舗は本来無価値のものであるが必ずや事情に余儀なくされて高値に評価する結果荷主小売両者の手数料率引き上げとなるであろう」(生産調査会議事録)
説の当否を別にして市場の統制と革新とに暖簾の問題が随起することは当時から予期されていた。

38頁
暖簾の意義と評価
39頁
暖簾の意義
営業権の俗称で老舗、営業得意先、営業秘密、家などと同じく、無形固定資産のもっとも重要なものである。
商店、会社が多年の努力に因って成功し、同様の事業における普通の収益率に依る以上の利益を上げ得るとき、其の超過利益を生ずる原因を意味するものであり、其の超過利益を評価記帳するとき、資産として暖簾が成立する。

1)多年の努力により築かれた評価信用
2)経営首脳者または従業員の人格または手腕の優秀
3)店舗所在場所の地理的憂愁
4)商業または商標に依る其の名前の広く知られること
5)仕入先其の他営業関係の諸方面に有する特別関係
6)販売または販売の独占

のれん評価が計上されるのは以下のばあいに限る
1)のれんが他人に譲渡される場合
2)高い社と合併する場合
3)其の組織を変更する場合(個人から株式会社へ)
4)合名会社、合資会社に置いて社員の加入または脱退のある場合


5)

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