近江商人の帳簿は有名な中井家の帳合の法がありますが、伊勢商人にも富山家の帳簿が最古といわれています。
国立史料館にあるとの事ですが、閲覧可能かどうか現在近くの図書館でも調べてもらっています。今回は、水谷さんのブログから「近江商人の帳簿」をうまくまとめていらっしゃったので引用させていただきました。
近江商人と伊勢商人はその発生、隣国でありともに天領であったなど共通するところが多くあります。中でも蒲生氏里が転府していらい日野商人が多く勢州へ移り住み近江商法が普及することになりました。
そうしたことから、江州と勢州両方に帳簿が残っているのは、合点がいくことです。
以下引用
http://mizutani.cocolog-nifty.com/book/2005/08/post_c7db.html
日野商人である中井家に残された膨大な大福帳が滋賀大学経済学部に収まりました。筆者が大福帳を調べてみるとすごい複式簿記の仕組みになっていることが判明します。
日本への複式簿記の導入は福沢諭吉が「帳合の法」の訳本を出してからと言われていましたが、200年も前に開発されていました。中井家の場合、本支店会計が導入された管理会計にもなっていました。
研究成果がまとめられ「江州中井家帳合の法」として出版されますが中井家だけでなく鴻池、小野組など他の近江商人でも同様の会計システムが出ていたことが明らかになります。
今でいう貸借対照表、損益計算書を揃え、決算報告まで揃っています。堂島の米相場では世界最初の先物取引所ができていたり、こんあ会計システムが出来上がっていたり日本って、とんでもなく進んでいたんですね。
■利足(利息)
中井家では資本金の10%が利足で、これが目標利益になりました。また、支配人にはここまで稼ぎなさいというプレッシャともなる数字です。10%を超えると「徳用」となり、徳用の10%は支配人に分配されます。自分が独立にもなる数字です。今で言う業績報償ですね。
反対に10%に達しない不足分は「損耗」となり、処理の仕方はいろいろとありましたが、中には今日で言う繰越欠損金のようなものもありました。
■帳合の法
売掛帳や過不足口など色々な帳面がありますが、近江商人は一つの取引を2つの帳面に記帳していました。また記帳を突き合わせることで、片方への記入忘れや誤記入を防いでいました。
毎日、仕事が終わると夕食前に全部の帳面をもってきて、一つの記帳に対して、相手となる帳簿にもきっちり記帳されているか確かめます。あっていれば検証印を押し、これで整合性をはかっていました。西洋から伝わった簿記は貸方、借方で処理をしますが原理はまったく同じです。
以上
小生から追加させていただくと、近江商人も伊勢商人も日本で初めて帳簿に資本の概念を導入した商人のようです。
資本とは利益を蓄積するいわゆる貸借対照表上の自己資本です。
江戸時代のほとんどの商人は、キャッシュフローの概念、あるいは簡単に言えば出納帳の概念しかなく、損益計算上の利益は理解できても利益が貸借対照表上のこる事が理解できなかったようです。
2008年11月10日月曜日
2008年10月26日日曜日
趣味の伊勢名物

三重ではお茶は伊勢茶として有名です。
ペットボトルに入ったお茶では川原製茶の伊勢茶ブランドが濃い味でおいしいお茶でした。
丹生は、勢和の隣村でもありまわりに何もありません。
川原製茶はちょうど丹生太子の門前を少し入ったところにあります。
販売者:株式会社川原製茶
住所 三重県多気郡多気町丹生1786
0598-49-3036
購入場所:松阪観光会館(松阪駅前)

この製品は、三重県製麺共同組合の開発商品で統一ブランド商品です。
伊勢うどんとは、湯でたうどん玉につゆをそのままかけて食べるうどんです。
御汁のないうどんとしては讃岐のかけうどんのつゆなしのような食べ方をします。
伊勢うどん パック2玉
販売者:有限会社 赤塚製麺
津市高野尾町4198
059-230-0015
購入場所:東京有楽町交通会館内 むらからまちから館
むらからまちから館の写真です。ここには全国商工連合会が運営しているため、全国の物産が並んでいます。伊勢もんは、ひじき、清酒、伊勢うどんがありました。少ない!!
03-5208-1521

勢和屋
伊勢商人と初鰹
江戸時代、初鰹は江戸町民にとり特別な意味を持つものでした。
初鰹は女房も質に入れても食らうものという川柳も出たほど、
初鰹を好んで食したそうです。
しかし、江戸に店を構える伊勢商家は、支配人から手代にいたるまで贅沢はご法度でしたから、初鰹が出ようとも一向に見向きもしません。
この説には、嶋田氏の著書「伊勢商人」で、もともと伊勢の人は紀州灘で取れるいきのいい鰹を食していたためわざわざ、小田原や房総からくる鰹には目もくれなかったと紹介されていますが、贅沢を禁じた当時の伊勢商人には鰹にお金をかけるというような事はしなかったのでしょう。
今でも日本橋には「鰹節」を扱う老舗があります。
1699年元禄12年創業のにんべん株式会社は、300年たった今でも鰹節を商っています。
嶋田氏の「伊勢商人」で多くの川柳が紹介されていますが、ここでは紹介できませんが、川柳にも出るほど、伊勢商人と鰹は縁の無いものだったそうです。
しかし、にんべんの鰹はいまだに健在です。機会があれば聞いてみたいものです。
以下HPから抜粋。
にんべんは、お陰様で今年(2008年)創業309年を迎えることができました。元禄12年(1699年)より鰹節一筋に、日本の味を伝え伝えることを使命と考え、安心・安全・健康をモットーに、味本位、品質第一に商品作りをして参りました。今後とも当社製品をご愛顧いただきますようお願い申し上げます。
http://www.ninben.co.jp/
伊勢商人は、相場ものには手を出さず木綿、乾物など国元から調達できる品物を江戸で商っていました。マーケットに流されず必要なものを市場に供給する力と才覚は近江の天秤棒商いと通じるところがあるようです。
2008年10月25日土曜日
三越創業際 335年
三越が今年で創業335年になります。
伊勢商人の代表として今なお広く知られています。
他の日本橋界隈の老舗には、ニンベンの鰹節などありますが、規模知名度GDP貢献度などなど圧倒的に三越と三井グループは日本を代表する企業となっています。
25 Oct 08
----------
伊勢丹は伊勢屋丹次郎氏が創業したがこれも伊勢屋。今回伊勢丹と合併するが、三越としての暖簾は残るが経営が変わると言うのはなんとも寂しい思いです。
三越335年記念のお菓子の缶を販売していたがひとつ買って記念にとっています。

この絵は広重の浮世絵ですがが当時の三越の繁盛振りを表しています。
当時三井高利は、江戸の富士山の見えるところで繁盛する三越を夢見ていたそうです。
それが、日本橋駿河町だったのでこの絵もそうです。当時の成功の証としてこの浮世絵を見ると改めて才覚と伊勢商人のすごさを感じるところがあります。
伊勢商人の代表として今なお広く知られています。
他の日本橋界隈の老舗には、ニンベンの鰹節などありますが、規模知名度GDP貢献度などなど圧倒的に三越と三井グループは日本を代表する企業となっています。
25 Oct 08
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伊勢丹は伊勢屋丹次郎氏が創業したがこれも伊勢屋。今回伊勢丹と合併するが、三越としての暖簾は残るが経営が変わると言うのはなんとも寂しい思いです。
三越335年記念のお菓子の缶を販売していたがひとつ買って記念にとっています。

この絵は広重の浮世絵ですがが当時の三越の繁盛振りを表しています。
当時三井高利は、江戸の富士山の見えるところで繁盛する三越を夢見ていたそうです。
それが、日本橋駿河町だったのでこの絵もそうです。当時の成功の証としてこの浮世絵を見ると改めて才覚と伊勢商人のすごさを感じるところがあります。
「伊勢商人」という本

25 Oct 08
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嶋田 謙次氏の「伊勢商人」を図書館で借りました。
千葉図書館にはなく、唯一三重県立図書館にあったため取り寄せることとなりました。
アマゾンやネット販売では中古本でさえ手に入らない貴重な本となっています。
著者は、1923年商家に生まれ、宇治山田商業、彦根高等商業卒業、神戸製鋼入社、1988年当時神鋼電機顧問でした。
1章 伊勢商人の起源
2章 伊勢国と伊勢商人の特質
3章 伊勢商人の発生と発展
4章 伊勢商人の経営と盛衰
5章 伊勢商人の足跡
6章 伊勢商人の系譜
大変よく研究された本で民間人(学者ではない)がかかれたものとは思えない本でした。
今まで色々読みましたが、伊勢商人の研究をする身にとっては、この本がバイブルのような気がします。内容では他の本同様一般的な伊勢商人の経営スタイルについての紹介が多い内容でしたが、深く研究されているところが随所にあり、是非手元においておきたい一冊です。筆者の出身学校を拝見すると、伊勢の学校を出て、近江の学校へ入学されたところなど、まさに商家の匂いがされる方のようです。
表紙は松坂木綿の紺と三越の浮世絵です。これも最高です。
1987年1月発行
1988年2月10日2版
発行者 伊勢商人研究会
製作者 ダイヤモンドプランニングサービス
2008年10月8日水曜日
2008年9月26日金曜日
三重県地域資料コーナー
地域資料コーナー
トップページ > 地域資料コーナー > 地域ミニ展示 > 41の4
三井高利とその商法
* はじめに
* 1 三井高利と三井家
* 2 呉服店「越後屋」の商法
* 3 武藤文庫の三井家関係資料
* 4 当館所蔵参考文献(2004年6月現在)
書名 編著者 刊年 出版者
1 三井事業史 本編 第1巻 三井文庫編 1973 三井文庫
2 三井事業史 資料編 1 三井文庫編 1980 三井文庫
3 三井高利 中田易直 1975 吉川弘文館
4 三井元祖高利修業記 来多武六 1942 国文社
5 人づくり風土記 24 加藤秀俊編 1992 農山漁村文化協会
6 松阪学ことはじめ「宣長さん200年」 実行委員会編 2002 おうふう
7 伊勢商人 嶋田謙次 1988 伊勢商人研究会
8 伊勢商人の世界 後藤隆之 1990 三重県良書出版会
9 江戸商業と伊勢店 北島正元 1975 吉川弘文館
10 雇用の歴史 牧英正 1977 弘文堂
11 越後屋より三越 豊泉益三 1936 川瀬五節堂
12 三越写真帖 三正会幹事編 1941 (三越)
13 三越のあゆみ 「三越のあゆみ」編集委員会編 1954 三越本部総務部
14 松阪市史 第12巻 松阪市史編さん委員会編 1983 蒼人社
当館所蔵参考文献 (2004年6月現在)
書名 編著者 刊年 出版者
15 三重の文化 27 三重郷土会編 1961 三重郷土会
16 越後屋覚書 豊泉益三 1955 三邑社
17 越後屋覚帳 三井高陽 1940 同文館
18 松坂商人のすべて
1 江戸進出期の様相 大喜多甫文 2005 伊勢の国・松坂十楽
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三井高利とその商法
* はじめに
* 1 三井高利と三井家
* 2 呉服店「越後屋」の商法
* 3 武藤文庫の三井家関係資料
* 4 当館所蔵参考文献(2004年6月現在)
書名 編著者 刊年 出版者
1 三井事業史 本編 第1巻 三井文庫編 1973 三井文庫
2 三井事業史 資料編 1 三井文庫編 1980 三井文庫
3 三井高利 中田易直 1975 吉川弘文館
4 三井元祖高利修業記 来多武六 1942 国文社
5 人づくり風土記 24 加藤秀俊編 1992 農山漁村文化協会
6 松阪学ことはじめ「宣長さん200年」 実行委員会編 2002 おうふう
7 伊勢商人 嶋田謙次 1988 伊勢商人研究会
8 伊勢商人の世界 後藤隆之 1990 三重県良書出版会
9 江戸商業と伊勢店 北島正元 1975 吉川弘文館
10 雇用の歴史 牧英正 1977 弘文堂
11 越後屋より三越 豊泉益三 1936 川瀬五節堂
12 三越写真帖 三正会幹事編 1941 (三越)
13 三越のあゆみ 「三越のあゆみ」編集委員会編 1954 三越本部総務部
14 松阪市史 第12巻 松阪市史編さん委員会編 1983 蒼人社
当館所蔵参考文献 (2004年6月現在)
書名 編著者 刊年 出版者
15 三重の文化 27 三重郷土会編 1961 三重郷土会
16 越後屋覚書 豊泉益三 1955 三邑社
17 越後屋覚帳 三井高陽 1940 同文館
18 松坂商人のすべて
1 江戸進出期の様相 大喜多甫文 2005 伊勢の国・松坂十楽
伊勢商人の活躍-三井家
近江商人と伊勢商人は、経営スタイル、江戸店持ち、従業員は郷土出身者、複式簿記を扱う、相場者は扱わない、政治と関与しない、など共通する経営面が多くあります。
そうした中でも三井は、両替商として武家との関係も深く政治と関与する面もあったと思われます。戦後、三井家から三越と三井物産、三井銀行に分離した際も、政府の圧力があり両替商から銀行へ、繊維以外の商いは物産へ、繊維は三越へと分離していきました。
長谷川家、小津家などの商家は両替商としても発展していましたが、江戸から明治にかけての激動期に政治の波を読みきれなかったともいえるのではなかったかと思われます。
以下は、ネットからの転記ですが、三井の商法を簡潔にまとめていらっしゃいます。
ご参照ください。
伊勢商人の活躍と三井高利の商法
今日は、江戸時代に活躍した「伊勢商人」についてお話しします。江戸の町でよく言われた言葉に、「江戸に多きもの 伊勢屋、稲荷に犬の糞」とか「伊勢乞食に近江泥棒」などというものがありました。これは、江戸の商人達が江戸で商売を繁盛させていた伊勢商人や近江商人のことを、ねたみ半分に言ったものらしいのですが、当時の江戸の町には「伊勢屋」を始め、「越後屋」「丹波屋」など、伊勢商人の店が軒を連ねていたようです。これらの店は「江戸店」といって、東京支店とでもいうようなもので、「江戸店」持ちということが松阪商人の特色でした。
松阪の城主・蒲生氏郷は近江日野の出身で、近江商人を育てた人でもあり、この氏郷の商業保護政策や、広い木綿生産地があったこと、伊勢参宮の人達によって貨幣経済が発達し、情報も入り易かったことなどから、多くの商人がこの松阪から出ました。有名な人には、越後屋呉服店・三井両替店の基を築いた三井高利、丹波屋(長谷川)次郎兵衛、小津屋清左衛門などがいます。それから国学者本居宣長も、実はこういった伊勢商人の家の出身でした。彼らはそれぞれ、画期的なアイデアで商売を成功させましたが、ここでは三井高利の商いの様子を少しみてみましょう。
三井高利は、松阪で木綿を商売していましたが、ついに決心して、江戸に「越後屋呉服店」を開きます。それまで呉服等を売る方法としては、「屋敷売」といって大名などの得意先を回って注文をとり、品物を届けて、支払いは‘つけ‘で、正月と盆に行われるのというのが一般的だったのですが、高利はそうした大名相手の商売をせず、町人・大衆向けに呉服を売り出したのです。町人達が行きかう店の前にずらりと反物を並べて広告を出し、現金掛値なしのバーゲンセールを催しました。また、地方の商人に越後屋の品物を行商させ、卸売業を兼ねたり、京都に三井両替店を開いたり、数々の独特な商売方法を考え出し、やがて高利は、江戸で一、二を争う大商人となりました。
以上、伊勢商人の代表として三井高利を紹介しましたが、伊勢商人について、井原西鶴が『日本永代蔵』の中で「人の気を見て商の上手は此国の人也」と言っているように、伊勢商人の商売上手は当時の人々を驚かせたようです。
(平成元年1月 伊東由里子)
多気町五桂池の航空写真
三井呉服点を描いた広重の浮世絵(樋田清砂氏蔵)
参考文献
* 中田易直『三井高利』吉川弘文館 昭和34年
* 北島正元『江戸商業と伊勢店』吉川弘文館 昭和37年
* 作道洋太郎ほか『江戸期商人の革新的行動』有斐閣 昭和53年
そうした中でも三井は、両替商として武家との関係も深く政治と関与する面もあったと思われます。戦後、三井家から三越と三井物産、三井銀行に分離した際も、政府の圧力があり両替商から銀行へ、繊維以外の商いは物産へ、繊維は三越へと分離していきました。
長谷川家、小津家などの商家は両替商としても発展していましたが、江戸から明治にかけての激動期に政治の波を読みきれなかったともいえるのではなかったかと思われます。
以下は、ネットからの転記ですが、三井の商法を簡潔にまとめていらっしゃいます。
ご参照ください。
伊勢商人の活躍と三井高利の商法
今日は、江戸時代に活躍した「伊勢商人」についてお話しします。江戸の町でよく言われた言葉に、「江戸に多きもの 伊勢屋、稲荷に犬の糞」とか「伊勢乞食に近江泥棒」などというものがありました。これは、江戸の商人達が江戸で商売を繁盛させていた伊勢商人や近江商人のことを、ねたみ半分に言ったものらしいのですが、当時の江戸の町には「伊勢屋」を始め、「越後屋」「丹波屋」など、伊勢商人の店が軒を連ねていたようです。これらの店は「江戸店」といって、東京支店とでもいうようなもので、「江戸店」持ちということが松阪商人の特色でした。
松阪の城主・蒲生氏郷は近江日野の出身で、近江商人を育てた人でもあり、この氏郷の商業保護政策や、広い木綿生産地があったこと、伊勢参宮の人達によって貨幣経済が発達し、情報も入り易かったことなどから、多くの商人がこの松阪から出ました。有名な人には、越後屋呉服店・三井両替店の基を築いた三井高利、丹波屋(長谷川)次郎兵衛、小津屋清左衛門などがいます。それから国学者本居宣長も、実はこういった伊勢商人の家の出身でした。彼らはそれぞれ、画期的なアイデアで商売を成功させましたが、ここでは三井高利の商いの様子を少しみてみましょう。
三井高利は、松阪で木綿を商売していましたが、ついに決心して、江戸に「越後屋呉服店」を開きます。それまで呉服等を売る方法としては、「屋敷売」といって大名などの得意先を回って注文をとり、品物を届けて、支払いは‘つけ‘で、正月と盆に行われるのというのが一般的だったのですが、高利はそうした大名相手の商売をせず、町人・大衆向けに呉服を売り出したのです。町人達が行きかう店の前にずらりと反物を並べて広告を出し、現金掛値なしのバーゲンセールを催しました。また、地方の商人に越後屋の品物を行商させ、卸売業を兼ねたり、京都に三井両替店を開いたり、数々の独特な商売方法を考え出し、やがて高利は、江戸で一、二を争う大商人となりました。
以上、伊勢商人の代表として三井高利を紹介しましたが、伊勢商人について、井原西鶴が『日本永代蔵』の中で「人の気を見て商の上手は此国の人也」と言っているように、伊勢商人の商売上手は当時の人々を驚かせたようです。
(平成元年1月 伊東由里子)
多気町五桂池の航空写真
三井呉服点を描いた広重の浮世絵(樋田清砂氏蔵)
参考文献
* 中田易直『三井高利』吉川弘文館 昭和34年
* 北島正元『江戸商業と伊勢店』吉川弘文館 昭和37年
* 作道洋太郎ほか『江戸期商人の革新的行動』有斐閣 昭和53年
2008年9月20日土曜日
三越創業335年、三重県尾鷲の鮨屋も江戸へ

三越は今年で創業335年になります。なぜこの時期に、創業祭なのかというと今年から三越伊勢丹ホールディングスになるからです。これからは、店もお買い場という伊勢丹流の経営が始まります。
三越創業祭も今週でいったん終わります。今回の創業際で三重県の「魚健」が銀座三越の特設コーナーに参加し、その帰りに千葉三越でも店を開いていました。
房総人としては、大変ありがたい事です。
魚健は、尾鷲の出身、鮨割烹店として約50年、先代は漁師か魚を扱う店だったと、若旦那がおっしゃったが、100年近く尾鷲で商っていたのでしょう。
名物は紀州名産「さんま姿すし」という事で、一ついただきました。洗練された味と美しい押し寿司です。紀州熊野灘は、さんま、鯖など多く獲れる漁場です。
伊勢出身の三越創業祭で見つけた伊勢商人でした。
屋号 :魚健
三重県北牟婁郡紀北町海山区小山浦藤ノ木28の33
電話 0597-32-0139
代表 民部 昌洋
2008年9月14日日曜日
近江、伊勢の商人に関する参考文献
伊勢、近江商人を調べていくと近江商人に関する書物が圧倒的に多い。
一部紹介します。
「近江商人中井家の研究」
著者 江頭 恒治
出版 雄山閣
中井家は、複式簿記を使っていたが、最も古い複式簿記は伊勢商人の帳簿が保管されている。
「江州中井家帳合の法」
著者 小倉 榮一郎
出版 ミネルバ書房
江戸時代後半期の商業資本の全容解明が可能
「近江商人の経営形態に関する考察」日野豪商中井源左衛門家の場合
31年12月彦根論叢題34号
「徳川時代近江商人の店員組織」
著者 原田 敏丸
近江、伊勢の商人魂
内橋克人概説 日本の商人3
出版 TBSブリタニカ
一部紹介します。
「近江商人中井家の研究」
著者 江頭 恒治
出版 雄山閣
中井家は、複式簿記を使っていたが、最も古い複式簿記は伊勢商人の帳簿が保管されている。
「江州中井家帳合の法」
著者 小倉 榮一郎
出版 ミネルバ書房
江戸時代後半期の商業資本の全容解明が可能
「近江商人の経営形態に関する考察」日野豪商中井源左衛門家の場合
31年12月彦根論叢題34号
「徳川時代近江商人の店員組織」
著者 原田 敏丸
近江、伊勢の商人魂
内橋克人概説 日本の商人3
出版 TBSブリタニカ
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